2000年9月30日、私はここオーストラリアのゴールドコーストに降り立ちました。ワーキングホリデーを真剣に考え始めたのは2年程前で私はもし海外にこのビザを使っていくのであればカナダに行こうと決めていました。しかし気候の事、年齢の事、物価の事などいろいろ考えた末オーストラリアが全ての面をクリアーにしてくれていたので最終的にこの地に向かう事にしたのです。ただ、オーストラリアに行くとなれば今まで続けてきた仕事は辞めなければならないし、将来の事、両親の反対などで直ぐに腰を上げることはできませんでした。
そうこうしているうちに時間ばかりが流れ、これではいけないと自分を奮い立たせました。申請をはじめてからは思っていたよりスムーズに事が運びパスポートに貼られているビザを見た時は本当に感激しました。そしてこれからオーストラリアに行ったら今まで以上に頑張らなければいけない、そして新しいことにもどんどん挑戦していきたいとさらに強い意思を持ち始めていました。
ビザを手にしてからオーストラリア出発までは準備に追われていたせいもあり、とても早く感じたのを覚えています。その上私は出発前日まで仕事を入れていたので最後の荷物をまとめるのが大変でした。今から思えばどれもこれも余計なものばかり入れていたなぁと反省しています。
最初はオーストラリアでの生活の情報が乏しかったので日本食も詰めるだけ詰め、自分が使っていたコンタクト用品やコスメ関係などきっとこちらには売っていないだろうと思って大量にパッキングした物もありました。その結果はおわかりかと思いますが空港では20キロ以上の重量に対してエクストラチャージがかかり、私のスーツケースは30キロ程あったので両親には半分の荷物を持って帰ってもらうはめになりました。日本食やコンタクト用品(愛用のものがちゃんとありました。)そしてコスメ関係なども(資生堂やビオレなど)捜せば見つけることができたので値段は高くなるけれど手荷物のエクストラチャージや輸送費に比べるとこちらで購入する方が安くつくかもしれません。それから「郷に入りては郷に従え」と言われるようにせっかくオーストラリアに来たのだから日本では使う事のできないオーストラリアンブランドを使うのも良いと思いました。味や匂いそして使い心地など日本のものと色々比較できて良い経験になり、これが日本に帰国した時の良いおみやげ話にもなるのだとわかりました。
そしてここからはオーストラリアでの体験をお話ししていきましょう。まずブリスベンに着いてからはバスを使いゴールドコーストへ移動しました。幸いにも市内からは私の友人が迎えに来てくれたのでとても助かりました。そしてその日のうちに銀行口座を開設しに行き、とりあえずこちらで早く友達も作りたかったので暫く通う学校を捜しにウエーブネットワークという日本人向けの情報センターへ行く事にしました。まだこの時点では住む家も捜していなかったのであちこちにある学校を紹介されても土地感が全くなくぴんときませんでした。それにこちらの情報センターでは手数料なしで学校紹介から手続に至るまでをやってくれるということで英語に自信のない私にとっては有難かったのですが本当に無料で全部やってくれるのだろうか?とか後からチャージされるのではないだろうか?などそのシステムがどうなっているのか分かるまでは心配ですぐには決められませんでした。そしてそれから3日後、住む家を決めてから学校選びにとりかかりました。まず徒歩30分以内で行けること、1クラス10人程の中に日本人が2人ぐらいのフレンドリーな感じ、そしてなにより自分の英語での弱点(リスニングとスピーキング力)を強化してくれる授業内容であることが私の学校選びの条件でした。そして自分の英語の勉強にもなると思い個人的に徒歩30分以内で行けるTAFEとGRIFFITH大学付属語学校へ授業料や入学金そしてタイムテーブルに関して尋ねに行きました。そしてその後もう1度情報センターの方に行って2つの学校の特色などを教えてもらいGRIFFITH入学を決めたのです。でもその情報センターのスタッフの方は「行く人はほとんど全て大学進学を考えているのでついていくのが大変ですよ。」と教えてくれました。そしてその話を聞いてからみんなについていけなかったらどうしょうという不安な気持ちが押し寄せてきました。でも日本を出発する時に誓った事を思い出し、自分に厳しくもう1度英語を頑張って勉強してみようとポジティブに考えを変えてみることにしました。
学校の1日目には朝からクラス分けの為プレイスメントテストがありました。ペーパーテスト以外にリスングとスピーキング力をみる為のインタビューがあり、オリエンテーションを済ませた時にはもう夕方になっていました。私が帰る頃にはもう掲示板の所にクラス分けされた自分の名前があったことを覚えています。
クラスは1〜4まであり私は4のクラスに入ることが出来ました。クラスは15人程で日本、韓国、タイ、中国、ロシア、台湾、ブラジル、インドネシアなどさまざまな国から色んな人が来ていてそのうち私を含め日本人の数は4人でした。4のクラスの人達は案の定私を除き全員大学進学希望者だったのでその人達向けにプレゼンテーションとアサインメントが多かったように思います。しかし私は頑張って1日も休むことなく授業についていくことが出来ました。
校内の施設のなかで特に気になったのはコンピューターの事でした。コンピューターを使用する時間は限られていたし、その上全てのコンピューターの動きが遅すぎて休憩時間の始まりとともに立ち上げてもその休憩時間が終わるまでに最初の画面から何の変化もないコンピューターがあり、生徒達の間ではコンピューターに対する不満がかなりあったように思われます。みんな1日も早くコンピューターのアップグレードをして欲しいと望んでいたことでしょう。
学校はサウスポートという町のショッピングセンターの中にあって立地条件は良く、ランチを持って来ていない生徒は何かを買いに行き易かったし、授業後、買い物をしてから帰ることも出来ました。天気の良い日には対岸にあるマリナミラージュというきれいなショッピングセンター(夜になるとライトアップされ、とても綺麗な所)を眺めながら青空の下でランチを食べることができました。そしてアサインメントなどの資料集めにはショッピングセンター内にある市立図書館を使うことも出来ました。それから毎週水曜の午後からはスペシャルアクティビィティという授業があり、4つほどのコースから自分の興味があるものを選んでその1つに出席するというのがありました。私はカルチャーを選んだのでアートギャラリーや生け花センターそしてFM局へ見学に行った事もありました。そして2週間に1回クラスのエクスカーションでブリスベンに行ったり先生の家に遊びに行ったりみんなと仲良くなれる楽しい機会もありました。
以前私が通ったことのあるカナダやアメリカの語学学校と比較すると大学進学者向けの学校ゆえに授業の面白みにかけていたということ、私が思い描いていた授業があまり提供されなかったことは少し残念に思いましたが、かけがえのない友達に出会うことが出来たので結果的には良かったと思っています。
かけがえのない友達と言えば私のシェアメイトだったメルのお話をしておきましょう。私がオーストラリアについてからまずやらなければならなかったことは住む家を見つける事でした。私は以前アメリカとカナダでホームステイの経験をしたことがあったので、今回はやったことがない1人暮らし向けの物件を捜そうと思っていました。しかし海外留学の本の中にオーストラリアではシェアメイトを見つけて一緒に暮らす事が普通と書かれていたのを思い出し私の友達に聞いてみたところ新聞でも学校の中にある掲示版でも町の中にある旅行代理店の壁にでも一緒に住みませんか?といったシェアメイト募集の情報が沢山あると教えてくれたので1人暮らしにも興味はあったけれどそれなら日本でも出来ると思いオーストラリアでしか出来ない事を優先してやってみようと心に決めました。まず新聞を買ってきて1つ1つ書かれている内容(家具付き、シャワールーム付き、セキュリティ、バス停が近くにある、値段など)をチェックし、気に入った物件から片っ端に電話をかけオーナーにコンタクトをとって部屋を見せてもらいに行くといった事を自分が気に入る物件が出てくるまで続けるのです。最初はオーストラリア人と電話でしゃべるのはものすごく抵抗がありましたがそれを何件も続けていくうちに少しずつ余裕がでてくるのでそれを感じた時にはとても嬉しかったです。シェアメイトのメルもその当時自宅を誰かとシェアすることで相手から払ってもらうお金を自分の収入に出来るのでGRIFFITHの語学学校の掲示板に部屋の情報を書いた紙を貼ってシェアメイトを見つけようとしていたのです.私は新聞からも旅行代理店の壁に貼ってある情報からも良い物件を見つける事は出来なかったので学校の掲示版が最後の手段でした。早速メルに電話をかけ部屋を見せてもらい周りの環境や部屋の綺麗さ、そしてなによりメルの人柄がよかったのでこの家に一緒に住もうと即決したのでした。彼女は台湾人でマンダリンや英語そして日本にも留学の経験があったので日本語も流暢にしゃべることが出来ました。だから時には彼女からマンダリンや中華料理を習ったり私が日本語や日本料理(肉じゃが、おでん、みそしるなど)を教えてあげたり日本文化と台湾文化の違いなど彼女とはたくさんしゃべり信頼関係を築いてきました。
彼女の出来ない事や私の困っている事などお互いに協力し合いながらシェアメイトを続け、時にはレストランへ一緒に出かけたり、2人でお金を出し合い食材を買って来て何かを共同で作ったり本当の姉妹のように仲良くしてきました。一緒に暮らすというのはそれだけで普通の友達とは何か違ったものが生まれるのだとメルと一緒に暮らしてみて分かりました。きっと彼女とはこれからも連絡をとりあうことでしょう。そして将来は海外旅行へ一緒に行こうなんてことも2人で話しています。
私は今、懐かしく出発当日のことを思い出しています。その日は家族全員の見送りがあり、父からは別れ際に1通の手紙を手渡されました。そこには「オーストラリア行きは許したけれど父として心から心配しています。だけど貴女を信頼しているのでオーストラリアに行っても頑張ってください。ただ、貴女のことだから頑張り過ぎて体をこわさないようにくれぐれも注意してください。そして貴女が元気に帰って来てくれるのをお母さんと2人で待っています。」このような内容の手紙でした。私は飛び立つ飛行機の中でこの手紙を読みましたが暫く涙が止まらず、オーストラリアに着いたら精一杯頑張ろうと心に誓いました。
1年を振り返り自分なりに苦しい時も頑張ってこれたのは私の周りの方々が色々励まして下さったからなのだと思います。
オーストラリアに行くぞという勇気がもてたこと、その夢がかなったこと、そして素晴らしい友達に巡り会えたことを今心から嬉しく思います。そしてそれら全てを許してくれた私の家族にも感謝しています。
私はこのオーストラリアでの体験が自分の人生を実りあるものにしてくれると信じています。
ありがとう私の素敵な仲間たち。
ありがとう私のオーストラリア。